2020年9月、金星の雲の中から、生命の手がかりになるかもしれない気体が見つかったというニュースが、世界をかけめぐりました。その気体は「ホスフィン」です。
ところがその後、データの処理に問題があった、見つかったのは別の気体ではないか、という反論が相次ぎます。この記事では、今も続く金星のホスフィンをめぐる論争について、確かな事実と語られている説を分けて整理します。
概要
ホスフィンは、リンと水素からできた気体(化学式はPH3)で、日本語では「リン化水素」とも呼ばれます。地球では工業的に作られるほか、酸素のない環境にすむ微生物が作り出すことも知られています。
2020年9月、イギリスのカーディフ大学のグリーブスらの国際チームが、金星の大気からホスフィンを検出したと発表しました。チームには日本の研究者も加わっていました。この発表の正しさをめぐって、今も研究者の間で議論が続いています。
確かな事実として分かっていること
雲の中は地球に近い環境
金星は、地球とほぼ同じ大きさで、厚い雲に覆われた惑星です。地表は高温で気圧もとても高い、過酷な世界です。ところが地表から約60キロメートルの高さにある雲のあたりでは、気圧や温度が地球に近くなります。
ただし、その雲は水ではなく、硫酸の粒でできています。発表したチームによると、雲の中は温度が30度ほどになるところもありますが、雲の成分の約90%は硫酸です。
2つの望遠鏡でとらえた信号
チームは、ハワイにあるジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡(JCMT)で金星を観測し、ホスフィンの信号をとらえました。さらに、チリのアルマ望遠鏡の観測でも確かめたとしました。
見積もられた量は、大気の分子10億個のうち20個ほど(約20ppb)でした。チームは、太陽の光による化学反応や火山、雷など、知られているしくみを調べましたが、観測された量を説明することはできなかったとしています。一方で、未知の化学反応の可能性もあり、生命がいる証拠ではないと強調していました。
データの処理に問題が見つかった
2020年11月、アルマ望遠鏡は、このときの金星の観測データの処理に問題があり、天体から来たものではない波形が生じていたと発表しました。データは処理し直され、改めて公開されました。
グリーブスらは処理し直したデータで解析をやり直し、アルマ望遠鏡のデータでもホスフィンが見つかると報告しました。ただし量は、金星全体の平均で1から4ppbほどと、当初より少ない見積もりになりました。
相次いだ反論
2021年には、反論の研究が次々に発表されました。アメリカのワシントン大学のチームは、見つかった信号は、雲よりずっと高いところにある二酸化硫黄によるものだった可能性が高いとしました。二酸化硫黄は、金星の大気にたくさん含まれている気体です。
ドイツのマックス・プランク太陽系研究所やNASAの研究者らも、元のデータを独自に分析し直して、ホスフィンがあることを示す証拠は見つからなかったと発表しています。
2022年には、成層圏を飛ぶ天文台SOFIAによる観測の結果も発表されました。高度75から110キロメートルの範囲でホスフィンははっきりとは見つからず、あるとしても0.8ppbより少ないとされています。
ホスフィンはあるという研究も
一方で、ホスフィンの存在を支える研究もあります。2021年には、1978年に打ち上げられたNASAの金星探査機パイオニア・ヴィーナス2号が、金星の大気の中に降下させた観測機のデータを調べ直した研究が発表されました。その中に、ホスフィンを示す兆候があったとされています。
グリーブスらは、SOFIAのデータを別の方法で解析し直すと、ホスフィンの信号が見つかると反論しました。さらに2023年7月には、イギリスの王立天文学会の会議で、JCMTの新しい受信装置を使った2022年2月と2023年5月の観測で、雲のより深いところにもホスフィンを見つけたと発表しています。
語られている主な説
雲の中の微生物が作っているという説
地球では、酸素のない環境の微生物がホスフィンを作ります。そこで、金星の雲の中にも微生物がいて、ホスフィンを作っているのではないかという説があります。ただし、最初に発表したチームも、生命がいると確かめるには、まだ多くの研究が必要だとしています。
未知の化学反応や火山によるものという説
生命ではなく、まだ知られていない化学反応や、火山の活動によってホスフィンができているという考えもあります。最初の発表の時点でも、チームは未知の化学反応の可能性を挙げていました。
もともとホスフィンはないという説
見つかった信号は、二酸化硫黄の見間違いや、データの処理の問題によるものだったという考えです。複数のチームが同じデータを調べ直し、ホスフィンの証拠は見つからなかったとしています。
今も残る謎
ホスフィンが本当にあるのか、あるとしたらどこで、どうやってできているのかは、まだ決着していません。量がとても少ないため、観測や解析のしかたによって、研究者の結論が分かれています。
グリーブスらは、JCMTを使った長期の観測計画で、金星の大気を見守り続けています。2025年7月には、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)が2031年11月に打ち上げを予定している金星探査機EnVisionに相乗りし、金星の大気でホスフィンなどを探す小型探査機の構想も発表しました。まだ提案の段階ですが、金星の雲を近くで調べる日が来れば、論争に答えが出るかもしれません。
まとめ
2020年、金星の雲の中から、地球では微生物も作り出すホスフィンが見つかったと発表されました。しかし、データの処理の問題や、二酸化硫黄の見間違いだという反論、ほかの観測では見つからなかったという結果が相次ぎました。
一方で、ホスフィンの存在を支える観測や研究も続いています。本当にあるのか、あるならその正体は生命なのか化学反応なのか、答えはまだ出ていません。
僕のひとりごと
僕がこのテーマで一番おもしろいと思ったのは、同じデータを見ているのに、研究者によって見つかる、見つからないと結論が分かれているところです。10億個の分子のうち数個という、ほんのわずかな量を探すことの難しさを感じました。
それでも、反論を受けて観測をやり直し、さらに探査機の構想まで出てくるのは、科学らしい前向きさだと思います。硫酸の雲の中に本当に何かがいるのか、答えが出る日を楽しみに待ちたいです。
参考情報
- 国立天文台「金星にリン化水素分子を検出―生命の指標となる分子の研究に新たな一歩」(2020年9月)
- 王立天文学会「Hints of life on Venus」(2020年9月14日)
- NASA「Venus from Mariner 10」(PIA23791、2020年6月)
- アルマ望遠鏡「金星観測データの再解析とデータアーカイブへの再登録について」(2020年11月18日)
- Greaves ほか「Re-analysis of Phosphine in Venus’ Clouds」(arXiv、2020年)
- phys.org「Scientists have re-analyzed their data and still see a signal of phosphine at Venus—just less of it」(2020年11月)
- アストロアーツ「『金星にリン化水素のシグナル』は、二酸化硫黄の見間違い」(2021年2月)
- マックス・プランク協会「Phosphine in Venus clouds? No trace!」(2021年7月16日)
- Eos「If There Is Phosphine on Venus, There Isn’t Much」(2022年12月)
- sorae「やはり金星にはホスフィンが存在する? 40年以上前の観測データを分析した研究成果」(2021年3月25日)
- Greaves ほか「Recovering Phosphine in Venus’ Atmosphere from SOFIA Observations」(arXiv、2022年)
- EarthSky「New detection of phosphine on Venus: Could it mean life?」(2023年7月)
- Supercluster「Life Marker Phosphine Detected on Venus Again」(2023年7月)
- 東アジア天文台「JCMT-Venus – monitoring phosphine and other molecules in Venus’s atmosphere」
- 王立天文学会「Life on Venus? UK probe could reveal the answer」(2025年7月9日)
- ESA「EnVision」
アイキャッチ画像:NASA/JPL-Caltech 探査機マリナー10号が1974年2月に撮影したデータを、2020年に処理し直した金星の姿です。厚い雲に覆われています
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