1948年1月、アメリカ・ケンタッキー州の空に、正体の分からない大きな物体が現れました。その物体を追いかけた戦闘機が墜落し、パイロットが命を落としました。
これが「マンテル大尉事件」です。UFOを追って亡くなったパイロットの事件として知られ、UFOの歴史を語るときに必ずといっていいほど登場します。この記事では、確かな事実と語られている説を分けて整理します。
概要
事件が起きたのは、1948年1月7日です。ケンタッキー州のフォート・ノックスにあるゴッドマン基地の周辺で、空に浮かぶ奇妙な物体が目撃されました。
近くを飛んでいたケンタッキー州空軍州兵のP-51戦闘機の編隊が、物体を調べるよう求められました。編隊を率いていたトーマス・F・マンテル大尉は物体を追って上昇を続け、その後、機体は墜落して大尉は亡くなりました。
前の年の1947年6月には、パイロットのケネス・アーノルドの目撃をきっかけに「空飛ぶ円盤」という言葉が広まり、アメリカ各地で目撃の報告が相次いでいました。マンテル大尉事件は、そうした空飛ぶ円盤の話題が冷めやらない中で起きた事件でした。
確かな事実として分かっていること
基地の上空に現れた物体
この日、ケンタッキー州では、空に不思議な物体が見えるという通報が、市民から州の警察に相次いでいました。やがてゴッドマン基地の管制塔からも、空に浮かぶ物体が見えるようになりました。
管制塔の係員は、その物体を、上が白く丸くて下がとがった、アイスクリームのコーンやパラシュートのような形だったと説明しています。基地の司令官たちも、この物体を目撃したとされています。
編隊に出された調査の依頼
そのころ、ケンタッキー州空軍州兵の第165戦闘飛行隊のP-51戦闘機4機が、ジョージア州マリエッタからケンタッキー州ルイビルの飛行場へ向かって飛んでいました。基地の求めを受けて、この編隊が物体を調べることになりました。調査の依頼が出されたのは、午後2時40分ごろだったとされています。
編隊長のマンテル大尉は25歳で、第二次世界大戦を経験したベテランのパイロットでした。飛行時間は2800時間を超え、数々の勲章も受けていたとされています。
無線で伝えられた物体の様子
マンテル大尉は物体を追って上昇しながら、無線で様子を伝えました。物体は自分の前方の上にあり、自分の半分ほどの速さで動いていると報告しています。
さらに大尉は、物体は金属のように見え、とてつもなく大きいと伝えました。その後、ほかの機は燃料や酸素の問題で追跡をやめ、マンテル大尉の機だけが上昇を続けました。
酸素のない高さへ
マンテル大尉の機には、高い空で呼吸するための酸素の装置が十分に用意されていなかったとされています。それにもかかわらず、大尉は高度2万フィート(約6100メートル)を超えて上昇を続けました。
やがて無線の連絡が途絶え、機体はケンタッキー州フランクリンの近くの農場に墜落しているのが見つかりました。大尉の時計は、午後3時18分で止まっていたと伝えられています。
墜落の原因は酸素不足
軍の調査では、マンテル大尉は酸素が足りない高さで意識を失い、操縦できなくなった機体が墜落したと考えられています。いわゆる低酸素症です。
マンテル大尉は、発足したばかりの空軍州兵で初めての死者となったと報じられています。事件は、のちに空軍のUFO調査でも取り上げられました。
語られている主な説
金星だったという説
空軍は当初、マンテル大尉が追ったのは金星だったと説明しました。しかし、昼間の空に見える金星は小さな点にすぎず、目撃された大きな物体の説明としては無理があると批判されました。この説明は、のちに取り下げられています。
海軍の秘密の気球だったという説
1951年から空軍のUFO調査を率いた責任者は、物体は海軍の「スカイフック」と呼ばれる気球だった可能性が高いと考えました。スカイフックは、当時まだ秘密だった高高度観測用の気球です。直径30メートル以上ともいわれる大きなもので、太陽の光を反射して金属のように光って見えます。
気球の計画は秘密だったため、マンテル大尉や基地の人たちは、その存在を知らなかったと考えられています。現在では、この気球説が最も有力な説明とされていますが、事件の当日に気球が上げられたことを示す記録は見つかっていないとも報じられています。
未知の飛行物体だったという説
UFO研究家の中には、マンテル大尉が追ったのは本当に未知の飛行物体だったと主張する人もいます。大尉が無線で、物体は金属のように見えてとても大きいと伝えていたことも、この説を支える材料とされてきました。ただし、未知の飛行物体だったことを示す証拠は見つかっていません。
今も残る謎
墜落の原因が酸素不足だったことについては、ほぼ見方が一致しています。しかし、マンテル大尉が追いかけた物体の正体は、はっきりとは確かめられていません。
気球説は目撃された物体の特徴とよく合いますが、その日にどこから気球が上げられたのかを示す記録は確認されていません。気球が上げられたと考えられてきたオハイオ州の基地についても、そこから気球が上げられ始めたのはもっと後の時代だったという指摘があると伝えられています。
地元のケンタッキー州シンプソン郡では、事件から75年を迎えるのに合わせて、1月7日を「マンテル大尉の日」と定めたと報じられていて、今もこの事件が語り継がれています。
まとめ
マンテル大尉事件は、1948年1月7日にケンタッキー州で、正体不明の物体を追ったP-51戦闘機が墜落し、マンテル大尉が亡くなった事件です。墜落の原因は、酸素の足りない高さで意識を失ったためと考えられています。
物体の正体について、軍は金星、のちには秘密の気球だったと説明しましたが、決定的な記録は見つかっていません。この事件は、UFOを追ったパイロットの悲劇として、今も多くの人の記憶に残っています。
僕のひとりごと
僕がこの事件で胸が痛むのは、戦争を生き抜いたベテランのパイロットが、正体の分からない物体を確かめようとして命を落としてしまったことです。酸素の足りない高さまで上り続けたのは、それだけ使命感が強かったからなのかもしれません。
UFOの謎を追う話はワクワクするものが多いですが、この事件は、空の上の危険さも教えてくれる出来事だと思います。
参考情報
- アメリカ陸軍「Questions remain 75 years after mysterious Fort Knox UFO incident, downed pilot」
- The Debrief「What Was Pilot Thomas Mantell Chasing When His Plane Crashed in 1948?」
- Military.com「The First Air Force Pilot to Die Chasing a UFO Was Actually Chasing a Secret Balloon」
- WBKO「Simpson Co. creates Capt. Thomas Mantell Jr. Day to commemorate the Mantell UFO incident」(2022年12月29日)
- HISTORY「Kenneth Arnold」
- The Spokesman-Review「Flying saucers still evasive 70 years after pilot’s report」(2017年6月25日)
アイキャッチ画像:United States Air Force Historical Research Agency(パブリックドメイン、Wikimedia Commons経由) マンテル大尉と同じ第165戦闘飛行隊のP-51(F-51D)の1948年の写真で、事件の機体ではありません


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