空に見えた不思議な物体は、いったい何だったのか。アメリカ空軍は、そんな目撃報告を集めて調べる計画を、長い間続けていました。
その代表が「プロジェクト・ブルーブック」です。この記事では、空軍が17年にわたって続けたUFO調査で、何が分かり、何が分からないまま残ったのかを整理します。
概要
プロジェクト・ブルーブックは、アメリカ空軍が1952年から1969年まで行った、UFOの目撃報告の調査計画です。オハイオ州デイトンの近くにあるライト・パターソン空軍基地を拠点にしていました。
調査の対象になった報告は1万2618件で、そのうち701件は、最後まで正体が分からない「未確認」のまま残りました。空軍は、UFOが国の安全をおびやかしたことはなく、地球外から来た乗り物だという証拠もないと結論づけて、計画を終えています。
確かな事実として分かっていること
前身となった二つの計画
空軍のUFO調査は、ブルーブックの前から始まっていました。1948年には「プロジェクト・サイン」、1949年には「プロジェクト・グラッジ」という計画が、目撃報告を調べています。
これらの調査では、多くの目撃が、見間違いやいたずら、よく知られた物体の誤認などで説明されました。そして1952年、より本格的な調査として始まったのが、プロジェクト・ブルーブックでした。
「UFO」という言葉
ブルーブックの初代の責任者を務めた空軍の大尉は、のちに調査の記録を本にまとめています。その中で、目撃される物体の形はさまざまなので、「空飛ぶ円盤」という言葉は誤解を招くと説明しています。
そこで空軍は、形を決めつけない「未確認飛行物体(UFO)」という言葉を使うようになりました。この大尉は、UFOという言葉を広めた人物ともされています。
天文学者ハイネックの参加
調査には、天文学者のJ・アレン・ハイネックが科学顧問として加わっていました。ハイネックは1948年、オハイオ州立大学にいたころに空軍に招かれ、サイン、グラッジ、ブルーブックの三つの計画に関わりました。
ハイネックは、目撃の中に星や惑星などの天体を見間違えたものがないかを調べる役目を担っていました。はじめはUFOの話を真剣に受け止めていなかったものの、目撃者から直接話を聞くうちに、考えを変えていったとされています。
首都の騒ぎと科学者の委員会
ブルーブックが始まった1952年の夏には、首都ワシントンの空港と空軍基地のレーダーに正体不明の反応が映る騒ぎが起き、UFOの報告が急増しました。これをきっかけにCIAも調査に乗り出し、1953年1月には科学者の委員会が開かれています。
この委員会は、ほとんどの目撃には合理的な説明がつけられるとして、安全保障上の脅威を示す証拠はないと結論づけました。
ミシガン州の目撃と沼地のガス
1966年3月、ミシガン州で起きた有名な目撃について、ハイネックは、学生のいたずらか沼地のガスかもしれないという見方を示しました。この説明は多くの人から笑いものにされ、地元の下院議員からも、目撃者の話を軽く扱いすぎだと批判されました。
この騒ぎは議会でも注目され、空軍のUFO調査のあり方に疑問の目が向けられるきっかけの一つになったとされています。
コンドン委員会と計画の終了
空軍はその後、コロラド大学の物理学者エドワード・コンドンが率いる研究チームに、費用を出してUFOの科学的な調査を依頼しました。この研究は「コンドン委員会」と呼ばれています。
1968年にまとめられた報告は、UFOをこれ以上研究しても、科学的に大きな発見が得られる見込みは低いと結論づけました。この報告と、全米科学アカデミーによる検討をもとに、プロジェクト・ブルーブックは1969年12月17日に終わりました。
空軍の三つの結論
計画を終えるにあたり、空軍は三つの結論を示しました。一つ目は、UFOが国の安全をおびやかすようなことは一度もなかったということです。
二つ目は、未確認の目撃が、今の科学を超える技術によるものだという証拠はなかったということです。三つ目は、未確認の目撃が地球外から来た乗り物だという証拠もなかったということでした。
語られている主な説
空軍が何かを隠していたという説
UFO研究家の間では、空軍は本当は何かをつかんでいて、それを隠すためにブルーブックを使っていたのではないかという説が語られてきました。701件もの未確認の報告が残ったことや、沼地のガスという説明が批判を浴びたことも、こうした疑いにつながったといわれます。
ハイネックも、のちにブルーブックの調査の進め方に批判的な考えを示すようになったと伝えられています。ただし、空軍が地球外の乗り物を隠していたことを示す証拠は、見つかっていません。
ほとんどは説明がつくという見方
一方で、空軍の調査では、目撃の多くがよく知られた物体の見間違いやいたずらなどで説明されてきました。コンドン委員会も、UFOをさらに研究しても科学的に大きな発見は見込めないとし、空軍は、未確認の目撃についても特別な技術や地球外の乗り物だという証拠はないと結論づけています。
今も残る謎
ブルーブックが終わったあとも、701件の未確認の報告は、正体が分からないままです。それが本当に説明のつかない現象だったのか、それとも調べるための手がかりが足りなかっただけなのかは、はっきりしていません。
アメリカ国立公文書館によると、ブルーブックの記録は現在、国立公文書館で公開されていて、誰でも調べることができます。また2022年には、アメリカ国防総省が、UFOの報告を調べる新しい部署「全領域異常対策室(AARO)」を作りました。ブルーブックの終了から半世紀以上たった今も、国によるUFOの調査は形を変えて続いているのです。
まとめ
プロジェクト・ブルーブックは、アメリカ空軍が1952年から1969年まで続けたUFO調査です。1万2618件の報告を調べ、そのうち701件が未確認のまま残りました。
空軍は、UFOが安全保障上の脅威になったことはなく、地球外の乗り物だという証拠もないと結論づけました。それでも、未確認の報告や調査のあり方をめぐる議論は、今も続いています。
僕のひとりごと
僕がこの計画で面白いと思うのは、UFOという言葉そのものが、空軍の調査の中から広まったということです。空飛ぶ円盤という言葉では形が決めつけられてしまう、という考え方には、調べる側の慎重さが表れている気がします。
1万件以上の報告の中で、701件が最後まで分からなかったという数字も、少ないと見るか多いと見るかで印象が変わります。その記録が今も公開されていて、誰でも読めるというのは、とても大切なことだと思います。
参考情報
- アメリカ国立公文書館「Unidentified Flying Objects – Project BLUE BOOK」
- オハイオ州立大学 Origins「The Air Force Investigation into UFOs」(2024年12月)
- Edward J. Ruppelt「The Report on Unidentified Flying Objects」(1956年、Project Gutenberg)
- HISTORY「Meet J. Allen Hynek, the Astronomer Who First Classified UFO ‘Close Encounters’」
- The Daily Northwestern「Time Capsule: A look at J. Allen Hynek」(2023年3月6日)
- ヒストリーチャンネル「プロジェクト・ブルーブック」
- Gerald K. Haines「CIA’s Role in the Study of UFOs, 1947-90」(CIAの機関誌 Studies in Intelligence、1997年)
アイキャッチ画像:United States Air Force(パブリックドメイン、Wikimedia Commons経由) 1952年6月から9月にアメリカ空軍に寄せられたUFOの報告の数を示したグラフです


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